第13回
南インドの海洋帝国、チョーラ朝
インド洋の制海権、海上交易を独占した商業国家



 前2回は北インドがイスラム勢力に支配されることになった11〜13世紀について書きましたが、ここで同時代の南インドに目を向けてみましょう。その後に来るイスラム勢力の南下を前にして、この時代のインド中部、南部には、後期チャールキヤ朝、ホイサラ朝、パーンディヤ朝など、いくつかのヒンズー王国が栄えていました。この中南部に栄えたヒンズー王朝の中で、今回は、ベンガル湾からインド洋、南シナ海に到る広大な海域を支配して貿易の利を独占し、東西海洋交易史に大きな足跡を残したタミル人の王国、チョーラ朝について触れたいと思います。インド亜大陸の外に経済基盤を求めた…という点で、インド史において特筆すべき国家の1つです。

 チョーラ朝の名は、紀元前後の古代インド史にも出てきます。2世紀末にチェーラ=パーンディヤ連合軍を破ったチョーラ王の「カリカーラ」についてはよく知られていますし、古代のインド洋近辺の季節風貿易について記された航海案内書「エリュトゥラー海案内記」(紀元50年頃に成立)の中では、インド南部のチョーラ朝の人々がインド洋の海上貿易の中で大きな役割を果たしていた…とも書かれています。そして、今回詳述する9〜13世紀に栄えたチョーラ朝は、その古代チョーラ朝の末裔だと言われています。

 さて、9世紀のチョーラ家はパッラヴァ朝の家臣でしたが、同家の王ヴィジャヤラーヤが、パーンディヤ朝との争いの最中のパッラヴァ朝から独立する形で、タンジャヴール(現タンジョール)にチョーラ朝を開きました。孫のアーディティヤ1世(871〜907)は、初めをパッラヴァ朝を助けてパーンディヤ朝と戦いますが、勢力を得て、893年にパッラヴァ朝を滅ぼします。次いでパラーンタカ1世(907〜956)がマドゥライ(現マドゥラ)を落とし、さらにスリランカ(セイロン)の援軍も破って、パーンディヤ朝を征服します。しかし、ラーシュトラクータ朝との争いの中で、クリシュナ3世(939〜966)の軍に敗れて領土を失い、一時期王朝の勢力は大きく衰退しました。

 チョーラ朝が大きく発展するのは、ラージャラージャ1世(985〜1016)の時代です。ラージャラージャ1世は、ケララ、パーンディヤを再征し、マイソール、セイロン(スリランカ)の北半を得ることに成功します。次いで東チャールキヤ朝の宗主権をめぐり、西チャールキヤ朝と争い、これを破って、東チャールキヤ朝を支配下に置きます。強大化し安定した政権を背景に、スマトラ島東南部のシュリーヴィジャヤ王国と友好関係を結び、マレー半島やカンボジアの諸王国とも交流、インド洋で活発な交易を繰り広げます。さらに、その頃西方貿易の主役であったアラブ人に対抗、モルディヴ諸島に海軍を送ってこれを征服。そして、1015年には中国(宋)に使節を派遣しました。
 ラージャラージャ1世の子であるラージェーンドラ1世(ラージェーンドラ・チョーラデーヴァ:1012〜1044)は、父の覇業をさらに進めます。まず、1017年、1025年と相次いでシュリーヴィジャヤ王国に遠征、前後して中国にも交易使節を派遣、インド洋からマラッカ海峡に到る制海権の掌握を目指します。1025年の大遠征ではマレー半島のシャム系王国やビルマ軍も撃破、占領したスマトラ島のケダーを拠点にマラッカ海峡を支配して、南シナ海へ到る交易路を独占します。そしてラージェーンドラ1世は、インド亜大陸の征服も進めます。西チャールキヤ朝の領土を奪い、さらに強大な軍を北上させて、オリッサから西ベンガルを征服、ここにチョーラ朝の版図はガンジス流域にまで達し、強大な王国となりました。
 何よりも海上交易を独占したことで、莫大な富を得、当時世界最大級の海軍を含む強大な軍隊を維持、インド洋周辺まで支配地域を拡大し、絶対権力を持つ王の下で安定した統治を行った最盛期のチョーラ朝は、亜大陸の北部をイスラム勢力に征服されていたとは言え、インド史上でも最強、そして最も富み栄えた帝国であったと見る人もいます。ちなみに当時のインド洋貿易における交易品は、香料、綿織物、ガラス器、樟脳、象牙など多岐に渡り、また宋からは交易の対価として大量の銅銭や金、銀ももたらされました。

 ラージェーンドラ1世没後、1077年にもヴィクラマディーティヤ6世が宋への大規模な使節を送るなど、海洋での覇権を維持して、しばらくはチョーラ朝の全盛期が続きます。しかし12世紀に入るとセイロンで反乱が起きて支配を失い、さらにはパーンディヤ朝が再び台頭、また新興のホイサラ朝に圧迫されるなど、徐々に勢力が衰え始めます。13世紀半ばにはシュリーヴィジャヤ王国の侵入を受け、王権の衰退に伴って地方領主層が台頭することで国内は荒れ、領土も次々に失われてチョーラの衰退が続きました。最終的には、1267年にパーンディヤ朝に併合され、栄華を誇ったチョーラ朝は滅亡します。

 ところでチョーラ朝は、優れたヒンドゥー寺院建築を数多く残したことでも知られ、現在のタンジャヴール県の北部にはチョーラ時代に建てられた多くのヒンドゥー教の寺院があります。中でも最も有名なのが、世界遺産にも登録されている、タンジャヴールのプリハーディシュワラ寺院(ラージャラージェーシュヴァラ寺院)で、これは1003年から1010年にかけてラージャラージャ1世によって建築されました。この巨大な石造寺院は、縦240m、横120mの敷地、本殿の高さ63mの規模をもち、12世紀以前では世界最大の寺院と言われています。


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